notesすぎなか整骨院は10年が経ちました。

すぎなか整骨院が始まって10年が経ちました。

お世話になってたくさん勉強させていただいた安川接骨院での修行期間が6年半、自分の整骨院をもって10年間が経ちました。

新潟大学工学部機能材料工学科を卒業して
すぐに柔道整復師になるために専門学校に通い始めました。同時に中学3年の頃から通っていた安川接骨院にて修行を始めました。

大学では水泳部がメインでがんばり、勉強は適度にやっていました。急に方向転換したことには大学の水泳部で主将を務めている時、肩を怪我をして泳げなくなってしまったことがありました。その時にスノーボードでジャンプに失敗し左手の骨折をしました。
主将では休まず部活に出続けましたが、泳がないでプールサイドでコーチに励んでいることもありました。練習には行くけど泳げないことが、ものすごい悔しいおもいをしました。新潟では治療にも通っていましたが、肩の痛みは治まらず練習すれば悪化するようなことがずっと続いていました。

なんで治らないんだろう
ストレッチも筋トレもしっかりやっている
治療にも通っている
だけど一向に良くならないまま引退をしました。

一方で泳げなくてもできる事はあるのではないかと考えて行動をしていました。
選手の水泳指導
主将の時に経験を基に後輩の相談役
大会での応援団長

自分は人を応援することが好きでした。
人のために何かをしてあげたい。
人を元気付けたい。
困っている人の相談を受けアドバイスをする。

こんなことができていたのではないかと今思います。

工学部では研究と言えどパソコンに向かってデータ整理、文章入力など座っていることが多かったです。自分にはどうしても黙ったままのデスクワークが辛かったです。
喋らない、動かないは自分には向いてないんじゃないか。

就職活動では水を作る技術、貧しい国に飲み水を確保している企業に興味を持ちました。同時に消防官の仕事にも興味を持ちました。

就職活動は5社ほど受けました。1つの会社には絶対入りたいなと思ったオルガノと言う会社がありましたが、見事に採用されませんでした。
消防官は肩が痛いため訓練はできないであろうと諦めました。

浪人して、大学に行って、苦労して卒業資格を得て、就職しないのはもったいないと言う思いがずっとありました。
やはり動く仕事がしたい、人と話す仕事がしたい、人を元気付けたい、人の人生を応援したいと言う思いがどうしても整骨院の道に向かってしまいました。
親には当然のように反対はされましたが、諦めませんでした。開業して専門学校の学費は将来必ず返すと約束し整骨院の道に進むことを決めました。
楽しそうに仕事をしている安川接骨院の安川院長
水泳や人生の相談を受けてくれアドバイスもくれた安川院長
自分はこんな人になりたい、これを仕事にしたいと言う思いを告げ弟子入りを決めました。

今から17年前の事ですが、しっかりとした目標を持ってやってきました。
今ようやく1つの節目の10年、あと30年ぐらいは人の役に立つことをやっていきたいと思います。

すぎなか整骨院
治りやすい身体をつくっていく治療
住所 東京都杉並区阿佐谷北6ー30ー3ー1階
電話番号 03ー3310ー4013

写真は毎年お礼参りに行っている阿佐ヶ谷神明宮です。